『憲法と成年後見人制度』 〜その実態と国民一人一人に権利を保障する憲法に対する違憲性〜

{成年後見人制度(成年後見人と成年被後見人)と老人ホームと行政と成年被後見人の家族とのより良い関係性の成年後見人制度を願って。}

 

現在の状態は、
家裁>成年後見人>行政>老人ホーム>成年被後見人成年被後見人家族
このような不等式が成立する現状だと認識しています。
                 ↓
私が願う状態は、
家裁>成年後見人=行政=老人ホーム=成年被後見人成年被後見人家族
です。

 

ここからは、日本国憲法第13条及び第29条を中心に本題を考えていきます。

参考資料としてこちらの二つの論文を読ませていただきながら考えていきます。

東京大学法科大学院論文及び山口県立大学論文

東京大学法科大学院論文:https://twitter.com/yumemirutotoro/status/1379813432522772486?s=21

山口県立大学論文:https://twitter.com/yumemirutotoro/status/1379824137518993410?s=21

成年後見人制度に関する身上監護について 立命館大学論文:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/hosei-1/note.pdf

成年後見人制度諸外国との比較論文:https://core.ac.uk/download/pdf/96963743.pdf

憲法第13条:第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

憲法第29条:第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
② 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
③ 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 

日本国憲法e-gov https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION

 

締めは、立命館大学『法の支配』論文:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/19-56/024hiranofinallecture.pdf

法の支配とは:f:id:yumemirutotoro:20210409201025j:image

 

 最初に、成年被後見人に選挙権を与えないのは違憲という判決を過去に東京地裁が出しました。その結果、公職選挙法が改正されて成年後見人が付く成年被後見人にも選挙権が認められるようになりました。朝日新聞論座http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/kouetsu/2013080500016.html

日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1303L_U3A310C1000000/

しかしながら、私の母に成年後見人が付き成年被後見人になりましたが、母が老人ホームに入所中何回か国政選挙や地方選挙等がありましたが、母の成年後見人は一度もそのようなことは話してくれませんでしたので、私が直接選挙管理委員会に問い合わせてみましたところ、「お母様には選挙権はあります。しかし、…」この後の説明の条件があまりにも厳しく、公選法東京地裁違憲判決を出し改正されても、事実上選挙をすることはほぼ不可能と知りました。このような改正は、東京地裁が出しました公選法違憲判決を反映しているとは言えず、成年後見人が付く成年被後見人は改正公選法でも選挙権が行使できない状態はほとんど改善されておらず、この点でも成年後見人制度は、憲法違反であると言えると考えます。

東京地裁が出しました公選法違憲判決についての論文:https://kusw.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=349&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=24&block_id=42

日本国憲法第15条第1項:第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
② すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
③ 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
④ すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。』e-gov より引用。

 

次に憲法第13条のインフォームドコンセントの法理と自己決定権から、成年後見人と成年被後見人成年被後見人家族との関係性を考えてみます。

参考資料:東京大学法科大学院 インフォームドコンセントと自己決定権:http://www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/02/papers/v02part04.pdf

参考資料:日本弁護士連合会 医療と感謝の権利:https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1992/1992_3.html

参考資料:

憲法上の方の支配の学説は、(芦部信喜 憲法 岩波書店より引用)

p13-14 立憲主義と現代国家ー法の支配

近代立憲主義憲法は、個人の権利•自由を確保するために国家権力を制限することを目的とするが、この立憲主義思想は法の支配(rule of law)の原理と密接に関連する。法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。それは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利•自由を擁護することを目的とする原理である。ジェイムス一世の暴政を批判して、クックが引用した「国王は何人の下にもあるべきではない。しかし神と法の下にあるべきである」というブラクトンの言葉は、法の支配の本質をよく表している。

 法の支配の内容として重要なものは、現在、①憲法最高法規性の観念、②権力によって侵されない個人の人権、③法の内容•手続きの公正を要求する適正手続き(due process of law)、④権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重、などだと考えられている。

 

では、成年後見人制度における成年後見人と成年被後見人と行政と老人ホームと成年被後見人家族の実態はどうでしょうか。

憲法第13条インフォームドコンセントの法理に基づく自己決定権を成年後見人制度に当てはめて考えてみますと、私は、当該制度は違憲であると考えます。安楽死と延命治療をするかどうかの決定権から考えます。

その理由として

1) 安楽死の場合には、本人の明確な意思が複数の医師により確認されさらに最後の時も本人の手で致死に至る行為を明確な意思を持って行うという完全な自己決定権に基づいています。これは日本では認められていませんので海外の安楽死のケースからです。

2)成年後見人がついている成年被後見人は、延命治療をするかしないかのインフォームドコンセントの法理に基づく自己決定権を行使できません。全くの他者である成年後見人と老人ホームの主治医との間で成年被後見人の延命治療をするかどうかを決定しているのが現状です。

成年被後見人の明確な意思に基づかず、かつ家族の意思も無視をし、インフォームドコンセントの法理に基づく自己決定権の行使がなされていない状態は、憲法第13条のインフォームドコンセントの法理に基づく自己決定権に反し、違憲であると考えます。なぜならば、成年後見人と老人ホームの主治医ではなく、家族と老人ホームの主治医の間でそれは法律上行われることであり、成年後見人の権限外だからでもあります。成年後見人と老人ホームの主治医だけで延命治療をするかどうかの決定権を行使できるのは家族等の身寄りが全くいない人の場合にのみ認められる成年後見人の権限だからです。

 

 老人ホームでの『看取り介護』は、消極的安楽死のように私には思えます。老人ホームの主治医と成年後見人との間で母の今後の生き方を、家族である私を排除して決めてしまうことは、当該二者間で母の消極的安楽死を母の憲法第13条のインフォームドコンセント法理に基づく自己決定権まで排除して決めることは、成年後見人制度も想定していないことですし、消極的安楽死幇助(母が望んでいたかどうかの確認もできないままに)に該当する蓋然性も否定はできないと考えます。母のことは、全くの他人である老人ホームの主治医と成年後見人との間でわかるはずがありませんから。母の意思を代理する法定代理人、つまり成年後見人は形式的な存在でると考えるのが合理的であると思います。この点からも憲法基本的人権の尊重や自己決定権に違反していると考えられると思います。

 

e-gov より「第十章 最高法規
 
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 

参考記事:Swissinfo ch (スイスの公的機関)こちらです。https://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB-%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%BB%E3%81%86%E5%8A%A9-%E6%AD%BB%E3%81%AC%E6%A8%A9%E5%88%A9/46204260

参考記事(難病の女性がSNSを通して知り合った医師二人に嘱託殺人を依頼して死亡した事件)Wireless wire news :https://wirelesswire.jp/2020/07/76554/

東海大学安楽死事件判決とその今日的意義 立教大学論文:https://www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/contents/2007/20070507.pdf

東海大学安楽死事件判決 大阪大学資料:http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/gyouseki/pdf/material-061022.pdf

東海大学安楽死事件判決横浜地裁判決文:https://square.umin.ac.jp/endoflife/shiryo/pdf/shiryo03/04/312.pdf

 

最後に、憲法第29条第1項の私有財産はこれを侵してはならない。

これに関して、成年後見人制度の違憲性の私の考えを述べたいと思います。

成年後見人の職務の一つとして成年被後見人の財産を管理することが当該制度により定められています。したがって、成年後見人は成年被後見人の家族の生活状況など全く考慮せずに家庭裁判所を背景として有無を言わせずに家族から成年被後見人の財産を分離して管理し始めます。老人ホームに入居すれば、成年被後見人の自宅の売却までもがその権限となります。

 

私は、一つの仮定として「妻が専業主婦で、夫の収入だけで生活をしてきて、夫が認知症等になり成年後見人が家庭裁判所より決定されてついたと考えました。」成年後見人は、成年被後見人の財産を管理し始めます。しかしながら、妻は専業主婦で今まで夫と人生を歩んできて妻の収入や財産はありません。成年後見人が成年被後見人となった夫の財産を管理し始めますと、その妻はその瞬間から生活ができなくなってしまいます。当該事例は今後ますます発生してくるであろうと私は考えています。当該事案のようなケースでは、成年後見人は、その職務権限において、成年被後見人である夫の財産を全て管理され、妻の生存権を奪われる可能性が発生してくることが考えられます。年金にせよ預貯金通帳にせよ金銭的財産は全て成年後見人の管理下になります。

 

このような権限を法律上定め、家庭裁判所の決定による成年後見人により、私有財産権も妻の生存権までも否定され憲法13条で保障されている妻の幸福追求権さえ否定する結果をもたらしていると考えます。

 

このような法律的権限を家庭裁判所が決定した成年後見人に付与する成年後見人制度は、違憲であると私は考えます。

 

法律を少し学んだことの記憶の断片からの課題への挑戦

https://twitter.com/yumemirutotoro/status/1358045077071831043?s=21

 

課題はこちらです。

https://twitter.com/simuken2016/status/1357941388101357568?s=21

 

続きです。

https://twitter.com/venus_sailor_v/status/1358123050890264576?s=21

憲法は政府与党と最高裁判所との関係性の上で生きている。

憲法は、国民一人ひとりの権利や国家の責任義務等が書かれている。しかし、憲法の条文がそのまま国民一人ひとりの権利を保障しているかといえばそうではないと考える。なぜか。憲法の条文の解釈を決定し、国民一人ひとりの行為が憲法の保障する権利かどうかは最高裁判所により確定されるからである。

 

憲法が「生ける法」と言われるのは、政府与党と最高裁判所との関係性の上で生きているからだと私は考える。では、政府与党と最高裁判所との関係性とは何か。それは「最高裁判所の判事の人事権」である。米国の最高裁判所の判事も前大統領の下で二人が代わって保守一色になりました。

 

最高裁判所の人事権を掌握するということは、憲法の解釈が変わり憲法を修正または改正したような効果があると私は思います。具体的な例を挙げてみます。オバマ大統領当時、合衆国最高裁判所の判事は、保守派、中道派、リベラル派で構成されていました。「同性婚を全米にわたって認めた画期的判決」を出したのも5-4で最後の1人であったケネディ判事が賛成し成立しました。他方最近の例ですが、女性の死刑囚の執行がトランプ政権下で行われました。この女性死刑囚の犯罪は確かに死刑に相当する犯罪であった一方で、この死刑囚の幼少期から今日に至るまで継続的な家族等からの性的、暴力的、精神的な「拷問」を受け続け、精神疾患に罹患し、死刑が何かということさえ理解できなかった。合衆国憲法修正第8条は、そのような疾患に罹患しているものの刑の執行を禁じています。したがってこの女性死刑囚の弁護団は合衆国最高裁判所トランプ大統領に刑の執行を中止するように嘆願していましたが、予定どおり死刑囚死刑は執行されました。(弁護団の嘆願は、死刑から終身刑への減刑)です。

 

憲法が独立していて各条文どうりに国民一人ひとりの権利を保障しているならば、合衆国憲法修正第8条により刑の執行は停止されたことでしょう。しかし、トランプ政権下で2人の合衆国最高裁判所の判事が代わりその指名者たる大統領と上院の任命(当時は共和党が多数)により任命された合衆国最高裁判所判事は保守一色となり合衆国憲法修正第8条でさえ尊重されないようになってしまいました。憲法が「生ける法」である限りこのジレンマは国民一人ひとりの権利の保障に大きな影響をを与えると私は思います。

 

憲法が政府与党と最高裁判所との関係性の上で生きているというのはそういう意味で私は考えていてこの表現を使用しました。

 

日本と比較してもほぼ同様のことは言えると私は考えています。

 

アメリカ合衆国憲法にせよ日本国憲法にせよ「政府与党と最高裁判所との関係性の上で生きている」すなわち、生ける法と言えるでしょう。「生ける法」であるからこそ、国民一人ひとりの憲法の諸権利の保障を守る行為が極めて大切だと考えます。

 

歴史を振り返ると、ワイマール憲法ナチスヒトラー政府の関係性からも同様のことが言えると考えます。ワイマール憲法第48条(国家緊急権)として「授権法」を非常事態法として制定できるようになっていました。ヒトラーナチス政府は、ワイマール憲法第48条を使い次々と授権法を制定し、その集大成として『包括的授権法』すなわち『全権委任法』を制定することによりワイマール憲法を無効化することに成功しました。ワイマール憲法自体を修正したり改正したり破棄したりすることなく無効化したのです。また次々と制定された授権法により「裁判所」も形骸的なものとしてしまうことに成功しました。

Quoting-"At Auschwitz we see the end of the long process. It's important to remember that the Holocaust did not start from gas chambers & murder.

The hatred slowly developed from ideas, words, stereotypes & prejudice, through legal exclusion, escalating violence & dehumanization."

https://twitter.com/auschwitzmuseum/status/1354402844670091269?s=21

 

他方日本は、

超法規的私権の制限の具体的なイメージは、ハンセン病隔離政策にあると考えます。新型コロナ特措法改正で強制隔離、すなわち、改正新型コロナ特措法緊急事態宣言が発動されると療養所に強制的に隔離する政策を、それに近い政策をしてくると思います。上述しています、京都大学論文『ペスト隔離の恐怖』も強制隔離ですから。当然に憲法上の国民一人ひとりに保障された私権等基本的人権等権利は改正特措法緊急事態宣言で停止すると考えれば矛盾なく『超法規的』政策としてかつ効果的に新型コロナ感染者数を抑え込むことはできます。

日本のハンセン病予防隔離政策と初期のヒトラーナチス政府のホロコーストの目的と一致するところがあるように思います。NHK ハートネット https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/266/

新型コロナウイルス感染症法の行政罰や刑事罰は、差別や偏見を生む可能性が高いと思います。そこからエスカレートしてくるとヘイトスピーチヘイトクライムなどへとなって行きそうな懸念を持ちます。

 

このように考えますと、やはり、憲法は時の政府と最高裁判所との関係性の上で生きていると私は考えます。

 

追記)『1984』dystopiaに関しては、エドワード・スノーデン氏のツイートを引用させていただきます。https://twitter.com/Snowden/status/1248748534024876038?s=20

 

こちらもエドワード・スノーデン氏のツイートを引用させていただきます。https://twitter.com/Snowden/status/1248747542285860864?s=20

新型コロナ特措法改正における罰則規定を推測してみました。

京都大学論文『ペスト隔離の恐怖』http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/10_kaba

『超法規的罰則の検討』新型コロナ特措法改正における罰則規定が、感染症専門家の一人からこのような考えが述べられています。https://twitter.com/sotakimura/status/1346433337494126594?s=21

 

『超法規的』から類推されることは、『強制的隔離』です。同時に京都大学論文にもあるような国家による強制措置等です。詳細は京都大学論文を読んでください。

 

このような考えが感染症専門家からでるのは、それをもとにした特措法改正に政治家が利用する可能性を考えます。『超法規的』の意味するところは、おそらく憲法が保障する国民の権利を停止することだと考えます。続きます…

 

ハンセン病隔離政策とはーNHKハートネット https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/266/

らい予防法-厚労省https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0131-5/dekigoto.html

らい予防法条文 衆議院http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01619530815214.htm

超法規的私権の制限の具体的なイメージは、ハンセン病隔離政策にあると考えます。新型コロナ特措法改正で強制隔離、すなわち、改正新型コロナ特措法緊急事態宣言が発動されると療養所に強制的に隔離する政策を、それに近い政策をしてくると思います。上述しています、京都大学論文『ペスト隔離の恐怖』も強制隔離ですから。当然に憲法上の国民一人ひとりに保障された私権等基本的人権等権利は改正特措法緊急事態宣言で停止すると考えれば矛盾なく『超法規的』政策としてかつ効果的に新型コロナ感染者数を抑え込むことはできます。

仮にこのような政策への改正であったならば、私は明確に反対します。

理由は、憲法の国家緊急権の解釈として「権力側の恣意的利用」の蓋然性があるためです。根拠は、『芦部信喜 憲法 岩波書店f:id:yumemirutotoro:20210107191334j:image
f:id:yumemirutotoro:20210107191328j:image

立命館大学教授『法の支配』http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/19-56/024hiranofinallecture.pdf

新型コロナウイルス特措法改正について思うこと

f:id:yumemirutotoro:20210104201804j:image新型コロナウイルス特措法緊急事態宣言に現在は罰則等による強制力はありません。最近与党政府を中心として、当該特措法を罰則をつけて強制力を持たせるように改正する議論がなされているようですね。

 

私は、罰則等強制力を持たせる改正に賛成できません。なぜなら、それは『私権の制限』を伴うことになるからです。私権の制限を認めてしまうと制限が解釈により無制限になる可能性が考えられるからです。

 

NHK NW9でヨーロッパやニュージーランド等の首相の演説を『言葉』の力と表現していた記憶があります。私はそれに同意します。しかし、日本ではできないと思います。理由は、『言葉』に対する国民からの『信頼』が皆無だと思うからです。日本の首相が、ヨーロッパやニュージーランド等の首相の『言葉』とは全く違う点は、『信頼』だと思います。国民から信頼されない政府の首相が、ヨーロッパやニュージーランド等の首相と同じことをしても『言葉』に国民からの『信頼』が皆無であれば効果はありません。

 

さらに自民党政府与党(公明党自民党の一派閥とみなす)憲法改正も視野に入れている可能性も考えられます。自民党憲法改正草案第99条をそのままの形で指定感染症予防法緊急事態宣言を自民党憲法改正草案第99条を改正案で通常国会等で提出すれば可決成立します。内容は違憲ですが、今まで違憲法律を強制採決で成立させてきた自民党与党政府にとってはなんでも無いことでしょう。自民党憲法改正草案第99条引用
f:id:yumemirutotoro:20201227050929j:image
f:id:yumemirutotoro:20201227050916j:image

 

歴史を振り返れば、ナチスヒトラー政府が、ワイマール憲法48条を利用してさまざまな授権法を成立させ、総仕上げに包括的授権法を成立させ事実上ワイマール憲法を死滅化させ、政府決定が法律となるようにして政府の政策を実行した結果があのとおりです。日本も同じ道を歩んでいるような印象を受けます。

憲法 芦部信喜 岩波書店 国家緊急権に関して。引用

f:id:yumemirutotoro:20210104201804j:image

 

 

2020/12/27のBS1の「アウシュビッツ、死者からの告白」を観ました。

後編の最後で、同じ人種であるのになぜナチスに協力したか?など現在でも発生し得る可能性を強く警告した内容でした。「人間とはどういうものかを知っているから」この言葉は、経験者でなければ理解できない重さを持つ言葉だと感じました。

東京大学教授 市野川 容孝氏「ナチス政府(自己決定権による安楽死https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75140

介護保険と医療保険の併用を認めることを望む

コロナ感染者数の中で高齢者の数が飛躍的に増えているとの報道。それにしたがって、看護師の本来の医療の仕事に加え、介護の仕事まで担っているという。

 

私見ではあるが、コロナ終息はなく、インフルエンザのようにワクチンが十分に世界に行き渡り、流行気になればコロナワクチン接種をするという状態がコロナの収束になると考える。

 

現状からコロナワクチンが十分になるまでの期間が一番危険な時期であり、医療崩壊等また経済危機等の危険性が高くなる時期だと思う。

 

医療現場での医療崩壊の一つの大きな原因に「マンパワー」の不足が言われている。最初に述べたようなことや、コロナ対策への重症者に対応する人材不足が大きな要因の一つ。

 

そこで私は母がアルツハイマー認知症及び癌になってから一人介護をし続けて思っていたことが役に立ちそうに感じる。それは、病院での健康保険と介護保険の併用を可能にすることである。現在では、病院は医療を行うところで「健康保険」、介護保険介護施設等介護に使う保険と区分され医療機関では併用できないシステムになっていると思う。

 

最初、私が母の介護を始めた頃に思ったことは、癌で病院に入院しているときは介護保険は適用外のため付き添い等で介護職の人を介護保険によりケアマネージャーに依頼してお願いすることができず、全額自己負担で付き添いを探し依頼することになってしまう。莫大な費用がかかる。

 

そこで現状のようなコロナの高齢者感染が爆発的に増加傾向にある時に、最初に述べている期間に限定し、病院等医療機関で、健康保険と介護保険の併用を認めることにより、病院の看護師等の介護士役の負担が少しは解消されるように思う。また同時に病院等医療機関でもマンパワー不足を少し軽減できそうに思う。

 

結論は、病院等医療機関介護施設もコロナ対策ではマンパワー不足は共通だと考えるのでこの点を解消するために、病院等医療機関で、健康保険と介護保険の併用を認めるべきだと私は考える。

 

補足)go to キャンペーン(トラベル、イート)ともに中止するべきであると考えると同時に、東京オリンピックは中止すべきとも考える。なぜならば、世界各国の選手にとっても極めてリスクが高いと思われること、さらにそれに集中してしまうことにより国民のコロナ等対策が不十分になる恐れがあると考えるからである。また、世界各国からの観戦客に対応する「ボランティア」の皆さんの感染対策はどうするのか?宿泊費や交通費など全額ボランティア負担という記憶はあるが、では、ボランティアがコロナに感染した場合は政府や東京都やJOCはどのような補償をするつもりなのか?IOC会長は日本にやってきたけれど、最終的な判断はWHOの判断によるとも。したがって、GOTOキャンペーンと東京オリンピックは中止すべきである。

 

因みに、妊娠中の母子感染に関して報道しないのはなぜだろうと思ってしまう。

 

ふと12月3日のNW9のニュースの中で紹介されていた映画と映画監督の言葉を思い出してしまいます。あのニュース項目は、秀逸であったと高く評価したい。

 

参考資料)Google コロナ感染者等データ予測グラフ→https://datastudio.google.com/reporting/8224d512-a76e-4d38-91c1-935ba119eb8f/page/ncZpB

 

 

厚労省コロナ等データ→https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html

 

私は今年の初め、コロナのパンデミックが宣言された時に、Twitterでこのような予測を書きました。

(自殺+変死者)>(コロナ感染及びコロナ感染関連死)

約1年コロナは収束ではなく、拡大し続け、、気温が下がる秋から冬にかけて「感染爆発」を実質していると考える。「感染爆発」状態かどうかなど政府の解釈次第であり実態生活とは乖離したものである。年末年始を越せない人たち、男女を問わず、統計上では相当数になると思われる。冒頭に述べましたが、これには終息(完全にコロナが消滅する)ことはなく、ワクチンが世界中の人々に行き渡るまで数年がかかり、ワクチンが行き渡った時に、感染が穏やかに減少に向かい、最終的にはコロナ感染の季節や感染時期になる予測に基づきコロナ感染予防接種をするという収束になると考える。

 

参考資料)厚労省-警察庁のデータに基づく自殺者数の推移→https://www.mhlw.go.jp/content/202010-sokuhou.pdf

 

GDPとコロナ対策)

よく言われることが、経済とコロナ対策を両立させる、ですね。私はこれは相反する二つの事象を同時に進めて成功裡に治めるのと同じことであり不可能と言っても過言ではないと考えています。なぜならば、GDPの50%超が国民一人ひとりの消費支出だからです。外出等も思うように自由にできない状態で、かつ事実上の医療崩壊状態である現状から考えますと家計支出が増える理由が見当たりません。

 

収入の視点から考えましても、人件費の削減等で非正規雇用等の不安定な人々から収入がほぼ無くなり失業させられてしまう現状。また大手企業でも人員削減や給与の削減やボーナス支給無しのような状態になっています。このような状態で安心して国民一人ひとりが消費支出ができるとは考えられません。

現在政府与党は「GOTOキャンペーン」で旅行や食事費用を国が一部負担で促そうとしているが結果としては逆効果となりコロナ感染が全国に拡散し事実上の医療崩壊を招いてしまっています。しかし、このキャンペーンを政府与党は継続して延長さえするという。ワクチンが本当に機能し始めるまでには1〜1,5年くらいかかると私見では考えています。国民一人ひとりが安心して消費支出できなければ経済の回復はあり得ないと思います。したがって、まず、国民一人ひとりが安心して消費支出できるようにコロナ対策に集中して困窮する国民をや自殺に追い込むような政策をすることなく、ワクチンが本当に行き渡りコロナが徐々に収束に向かい、仮にコロナ感染が始まってもワクチンがあるから医療崩壊等もなく安心して生活できる状態を作ることによる以外に経済の回復はあり得ないと考え政策を打ち出すべきだと考えます。

参考資料)消費者庁GDPに占める国民の家計消費の割合」→https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_research/white_paper/2018/white_paper_119.html

補足といたしまして、年末、年度末の倒産件数が飛躍的に増加するのではないかと懸念いたします。年末年始等も当然に忘年会や新年会等は、無理だと思われますし、また、借入金等の返済等に関しましても売り上げがほとんどない状態でどのようにして返済しながら経営が続けられるのか、その対策等は政府与党からは全く見えてきません。したがって、中小零細企業や飲食業等接客を伴う業種の、また観光関連会社の(ホテルや旅館等)の倒産件数が年末及び年度末に飛躍的に増加する懸念を持つのです。つまり、企業の倒産件数ではなく、国民の社会階層における所属位置の視点から見ますと、中位層の中以下の層に最もコロナの影響が発生すると私は考えます。f:id:yumemirutotoro:20201208020741j:image

 

中小零細企業、飲食業等コロナ関連倒産数)東京商工リサーチhttps://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20201111_01.html

 

参考資料)共同通信が報道しているGOTOトラベル利用者コロナ感染調査の詳細です。→https://healthpolicyhealthecon.com/2020/12/06/go-to-travel-and-covid19/

論文原文→https://twitter.com/yusuke_tsugawa/status/1335560422292738050?s=21

参考資料)コロナ感染、第1波、第2波と第3波の違い→https://twitter.com/masahirono/status/1337153780270456833?s=21

 

NHK NW9 のジョンレノン「イマジン」や「war is over 」など秀逸のニュースの項目だったと思います。でも、ここからは記憶で書きますが、第二次湾岸戦争の時に米国ではジョンレノンの「イマジン」をラジオ等で流すことをときの政府が禁止したことを思い出します。歌の力は、一般の人々への心に強く訴えかける力を持っていると感じます。反戦運動になることを時の米国政府は恐れたのだと思います。「war is over 」の最後の映像にこのような言葉が映っています。『an eye for an eye will make us all blind 」マハトマ•ガンジーの言葉と書いてあります。私は共感いたします。「you may say I'm a dreamer.」

 

2020/12/10のクロ現。)

コロナ対策で、「自由か命の選択」という中国人作家の言葉を紹介していましたが、私は少し違うと思います。なぜなら、自由と命は不可分であると考えるからです。自由があって命が守られ、命が守られるためには自由は必要だからです。番組で紹介されていた作家のかたは、•••独裁者の命を守るという選択をしたというような発言がありましたが、本質的に私は間違っていると考えます。独裁者は国民一人ひとりの命の保障などしないのは歴史を振り返ればわかると思います。他方日本に目を向ければ、私は欧米のコロナ対策よりも、中国のコロナ対策に類似しているように思います。日本と中国の共通点は何かと言いますと、一党独裁政権。中国は共産党、日本は自民党公明党自民党の一派閥とみなす)また、監視社会、つまりdystopia 社会なのだと思うからです。

 

歴史を遡れば、ナチスヒトラー政府は、自己決定権による安楽死政策をとっていました。そのための安楽死法もありました。自己決定権は自由を保障することを根拠とし、国民一人ひとりの生命を守るはずにも関わらず正反対のことが行われていました。

 

2020/12/11のNW9)

沖縄返還直前の「コザ暴動」、そして「日米地位協定」に触れていました。現在のNHKでこの二つの問題を取り上げるのは大変だったのではないかと思います。

米軍駐留費及び地位協定世界各国比較)→https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/sofa/documents/chuukan.pdf

上記の続き→https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/sofa/documents/190411-2.pdf

米軍駐留費世界各国比較→f:id:yumemirutotoro:20201212162751j:image

 

中国の「香港国家安全法」も取り上げていらっしゃいましたが、その理由とほぼ同じ理由で、日本でも前首相が強行採決をして成立させた「共謀罪」があります。やはり様々な視点から見て、日本と中国は欧米とは異なる国家体制、つまり中国と日本の国家体制はよく似ていると思います。

香港国家安全法→BBC https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53259691

2020/12/12NHKBS3のナチスヒトラー政府の特集をしていたのを見ました。番組最後のハンナアーレントナチスを表現する言葉が印象に残りました。

全体主義の起源NHKhttps://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/69_arendt/index.html

2020/12/13のNスペの感想)

一言で私が今経験しているアルツハイマー認知症及び癌の老人ホームに入所している母の、行政、老人ホームそして老人ホーム医師及び弁護士成年後見人がいるような状態の日々を送っている私にとっては、老人ホームに入所している基礎疾患等がありエクモも使用できない高齢者には、助けられる人を助けるために諦めてくださいという政策をとりますと言っている感想を持ちました。なぜならば、現実に行政、老人ホーム、医師及び弁護士成年後見人の間で家族である私を全く無視した状態で私を除いた関係者だけで母の命の選別をしているからです。私の知らないところで、老人ホーム、医師及び弁護士成年後見人から、母の介護は看取り介護に入ります。医師から十分な説明を受け同意書に署名捺印をします、という見取り介護同意書に署名捺印だけ私に突然突きつけられました。当然ですが、私は除外されているところで決定されたことに対して同意の署名捺印などできませんので拒否を致しましたが、最期まで私は除外されたまま母は、助けられる人のために、他界することになるのでしょう。これが見取り介護同意書で弁護士成年後見人の署名捺印だけ入っているものです。f:id:yumemirutotoro:20201214021850j:image

 

上記に述べていますように「歴史を遡れば、ナチスヒトラー政府は、自己決定権による安楽死政策をとっていました。そのための安楽死法もありました。自己決定権は自由を保障することを根拠とし、国民一人ひとりの生命を守るはずにも関わらず正反対のことが行われていました。」現在の与党政府はヒトラーナチス政府と同じことをしようとしているとさえ思えます。

『ナチ政府の「安楽死プロパガンダ映画」が、私たちに教えてくれること』

東京大学教授 市野川 容孝氏

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75140

 

『凡庸な悪』ハンナ=アーレント。日本社会が現在の与党政府(自民党公明党自民党の一派閥とみなす」)によって国民一人ひとりが思想統制されているのかもしれないとそのような感じがします。

 

NHK世論調査)私が納得できない項目は、コロナによる収入の状態。71%が変化なしという結果。派遣等立場の弱い人たちから職を失い、業種によっては大企業でさえ賃金の引き下げ、ボーナス無しのところもあるにも関わらず。NHKは、世論調査が法律により定められています。したがって(法律の定めがあろうとなかろうと統計不正はしてはならない)各項目で自民党一党独裁政権に忖度して「母集団」をNHKが出したい統計結果を想定した上で母集団を決めてその母集団が最も多い地区全国から選び出してアンケートを取れば、想定通りの結果が出ると思います。そのようなことはないと思いますが、あまりにも現実と乖離している統計結果なので信じることが難しいのです。NHK世論調査より引用f:id:yumemirutotoro:20201215224123j:image https://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

 

医療崩壊は実質的に既に起きていますし、同時に介護崩壊も実質的に発生していると思います。

私の母(アルツハイマー認知症及び癌)で入所している老人ホームの対応です。昨年の9月頃からの記録です。https://twitter.com/yumemirutotoro/status/1329329482239332358?s=21

さらに、昨日弁護士成年後見人から送られてきました(母の入所している老人ホームは法律上成年後見人に権限のない治療方法等インフォームドコンセントまで私を除外し、役所と老人ホームと弁護士成年後見人で母の命をどうするかの決定権を勝手に利用しています。

 

2020/12/17のクロ現)

認知症の特集でしたね。私が受けた番組の印象を一言で申し上げれば「美談」で終わらせた、という印象です。認知症といっても様々な認知症があります。私の母のようなアルツハイマー認知症や脳血管性認知症など様々な形態の認知症はあります。

もし、番組のような「美談」で認知症が進行するならば誰も「介護心中」などしないでしょう。しかし、現実は「介護心中」は発生し続けています。例を挙げますと、京都伏見の介護心中から最高裁判決により認知症介護者がなんとか救われた事件もありました。また家庭内だけでなく、介護施設での介護員等からの入所者に対する暴行致傷事件等も発生しています。

今後少子高齢化が急速に進む中で、このような事件は多発すると考えます。被介護者が介護者数を上回る可能性が極めて高いからです。

認知症者がJRの線路内に徘徊行為で立ち入り電車にはねられ死亡。その損害賠償を求めたJRとの裁判。最高裁判決です。→https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85714

クロ現武田真一

今度放送してくださる機会がございましたら、認知症要介護4〜5の認知症者とその家族を中心にして報道していただければ幸いでございます。

日本の社会階層

『共感』は、社会階層により異なる。

1)社会階層の下位部が上層部による『共感』はその本質を理解されないまま一時的な「救済」として「施される」。

2)自己権利本位を主とする集団にとって『共感』は、自己の権利を侵害される可能性が極めて高い場合に「権利侵害排除」として行われる。

3)自己の権利も社会的弱者の権利も同一の権利であり保護され、尊重されるに値するとする連帯的な「同情」により実行される。

注意をしたいのは、『共感』には二面性があり一方では社会的弱者を救済するが、他方では国家からの介在によりメディアが情動的部分を世論に訴えかけるまたは国家に都合の悪いことは排除してしまう編集がなされることによる世論操作が行われる蓋然性があるということである。受動的「社会的弱者」への『共感』は一律であってはならない。なぜならば、受動的共感者は、能動的共感者と同じく一人ひとり多様性があるからである。現在の能動的共感者は、受動的共感者に対してその多様性を考慮することなくそれよりも一律の共感を押し付けているように思える。つまりそれは能動的共感者の自己満足であり受動的共感者への「真の『共感』」ではないと考える。真の共感とは、永続的に能動的共感者から付与されるものではなく、受動的共感者が解決すべき問題なのである。もしそうでないと考えるならば、国家からの支援や援助が主体となった場合、国家による受動的共感者の支配が始まると言えよう。そこからは、J.オウエールの1984のような「監視社会」やW.リップマンのような「世論」ステレオタイプのような社会が現出するであろうことが推測される。本文にて論証する。本文では、社会階層を基軸として、優生思想の起源や歴史、から現在の生命科学遺伝子工学などからデザイナーベビーや動物のクローンに対して生命倫理人工知能の急速な研究開発とその自立思考が表裏一体になっているかどうかを考える。結論は、共感と差別は表裏一体であると仮定し本論を進める。

 

現在の日本社会の「普通」は個人を尊重するのではなく国家からの強制的な「普通」のように感じる。identityと言い換えても良いかと思う一人ひとりの「普通」。その意味で{「普通」は社会の総合的結果}と仮定するなら個人の多様性を尊重するのが「普通」だと思う。結論は、「普通」とは個人の価値観であり社会から定義された「普通」は憲法13条を基礎とする「普通」ではない。他方社会には「普通」が存在するという二重構造でもあると思います。集合体の「普通」です。A(高学歴•経歴•社会的地位•収入等)B(中学歴•経歴•社会的地位•収入等)C(低学歴•経歴•社会的地位•収入等)このような集合体があると仮定すると、各集合体の中ではそこでの「普通」が存在します。承前)しかし、各集合体間の「普通」は共有されません。従って「社会の総合的結果としての普通」と個人一人ひとりの価値観や多様性を尊重する「普通」が表裏一体化しているように感じる。本音と建前が日本のみならず先進諸国にはあると考える。本音は前者。建前は後者。人間にはこのダブルスタンダードを使い分けている場合が多いと感じる。本音が建前に一致すればある種「人間の安全保障」となるでしょう。しかし、人類は絶滅するまで気付かないと思う。